2019/02/02

昨日は、しばらく前に大村市内にある『かリィカフェ藁』で出会った崎辺真祐美さんの講演会に参加するために長崎市内へ。
 
先ずは、諏訪神社に参拝。
参道途中にある駐車場に車を停め、階段を下りて一番下へ。

 

 
参道途中左手に在る祓戸神社へ。
 
 
ここで祝詞を唱える度に、内なる光の球がグングン大きくなるのをか感じます。

 

 
そして、本殿へ。
新しい月を迎えることができた感謝と禱を捧げました。
 
 
ちょうどお昼時だったので、本殿に向かって左手の鳥居の外にあるお店へ。
 
 
タイミングよく席も空いていて、講演会にも間に合いました。
 
 
 
 
講演会のタイトルは、『お米と農業と人生のお話し』でした。
農業の現状と大切さを感じました。
今、日本は、いろんな分野の人たちが連携して、新しい在り方へとシフトしていく必要性を感じました。
 
 
 
 
 
講演会の後のシェアリングタイムである方が、この国を滅ぼそうとするような法案が可決されたことを話してくれました。
それを切っ掛けにいろんなエネルギーが動きました。
 
それをそのまま丸ごとハラのスペースで受け留め、いろんな事を考えるマインドはそのままにしておき、導かれるままにもう一度諏訪神社へ向かいました。
 
 
 
 
駐車場に車を停め、一番下まで降り、改めて参拝。
「私に何ができるのだろう?」
という問い掛けとともに参道を登ります。
 
 
本殿下の広場まで来ると、御神木と太陽に呼ばれます。
 
 
左手に観ながら進むと、ちょうど枝の間から太陽が。
 
 
これを見た瞬間、ネガティブな方に向いていた意識が反転。
 
 
そして、本殿へ。
 
 
この時、『外側に起こる出来事も、それについて反応する傷や感情や間違った信じ込みも、ハラであるがままに受け留め、ハートで光に変容し、光の柱となり、その光が垂直に上昇し循環するままに在ればいいのだ。』と腑に落ちました。
 
 
そして、『それぞれが得意な分野を極めて、それを分かち合って行くことでお互いに高め合う。それが、この地を光の地にし、それがやがてこの国を光の国にし、やがてはこの星が光の星になっていく。』
『その中で私は、出会う人たちの光を解放し、軽やかに伸び伸びと光を表現し分かち合えるようにサポートする。』と感じました。
 
 

 

 

晴れやかな氣分になり、小腹が空いたので、お好み焼き・カフェ キジマさんへ
 
 
オーナーさん自らが古民家を美しく改装した居心地のいいお店です。
 
 
 
 
店内に流れる音楽もいい感じだったので、自然と音の話に。
それがいつの間にか、おくんちの話になり、さらには明治維新の話に。
 
私としては、2016年から2017年に通っていた古武術の影響で、明治維新前の日本人の在り方に強く惹かれていました。
今年になってからもたまたま見つけたこの動画の影響で、さらに江戸時代に惹かれるようになりました。
 

 
その流れの中で、明治維新というのは、古き良き日本を日本人が壊したという風に思っていました。
しかし、オーナーさんとの会話の中で、維新志士達もこの国の将来のために闘っていたのだと感じました。
 
長崎についての間違った信じ込みが溶けていった瞬間でした。
 
そして、私自身が長崎に戻って来てから自然と国の事を思うようになり、同じようなことを思ういろんな人たちに出会うようになった流れが、一つに統合されたように感じました。
 
 
 
先人たちの意志を継ぎ、それをバージョンアップした在り方で実現する。
それは再び長崎から始まる。

長崎から日本へ
日本から世界へ
そして、この星を光の星に

 

そのために必要なことは、
私たち一人一人が、自らの内奥に在る光を取り戻すこと。

そしてその光を、それぞれが得意なことで表現し分かち合うこと。

そして、外側に現れる現実は、自分自身の内側にあるエネルギーを映し出したものであることを忘れないこと。

 

そんな風に感じました。
 
 
 
 
 
もう少し付け加えるなら、
 
外側に現れるネガティブに見える出来事も、
それと闘ったり変えようとする必要は無い。
 
出来事や出来事について反応する傷や感情や間違った信じ込みを
あるがままにハラで受け留め、ハートで光に変容する。
そして、光の柱で在りながら、中心から起こるままに応答する。
 
ネガティブに見える出来事は、私たちの中に在る光を発見するために起こっている。

 

 

 

 

長崎で出会い縁を感じる人たちは、不思議と県外から来た人たちや、県外に出ていて戻ってきた人たちばかりのように感じます。

 

これもまた不思議なものです。

 

みんな同じ目的を持ちやって来た仲間のように感じます。

 

そして、初めて会ったように感じない人たちです。

 

おそらく、過去生でも一緒だったように感じます。