悟りを目指すと氣づきがすべてで在るかのように勘違いし、愛を忘れてしまう。
悟りとは、山頂(愛と氣づき)で在りながら、山全体を含み統合していくことである。
悟ればすべてうまくいく、というのは幻想。
それは、山の頂上(氣づき)に辿り着けばすべてうまくいく、という勘違い。
愛を忘れていれば、頂上に居続けられない。
頂上に辿り着いても、山全体を含み統合していなければ、
思考や感情や体に足元を掬われ転げ落ちる。
悟りとは、山の頂上を目指すものではなく、
悟り(愛と氣づき)で在りながら、意識全体が開花することである。
山の頂上で在りながら、山全体を含み統合すること。
既に悟り(愛と氣づき)は在る。 既に頂上にいる。
山の頂上、悟り(愛と氣づき)で在りながら、山全体(本質や強み・長所・才能や感情や体や思考) を含み統合していくこと。
さらに、周りの人や自然も含み統合していくこと。
愛で在りながら、自分のすべて(本質や強み・長所・才能や感情や体や思考)を含み、周りの人や自然まで含んでいる。
そして、そのすべてに氣づいている。
この位のバランスがちょうどいい。
落ち込みがやって来た時、落ち込みを癒そうともせず、捕まえもせず、ただ氣づいている。
すると、彼方からスペースが拡がり、落ち込みを受け入れ包み込んでいく。
その落ち込みに氣づき、受け入れ包み込んでいるのが本当の自分で在り、
悟り(愛と氣づき)で在る。
恐怖、不安、恐れに参る自分は本当の自分ではない。
恐怖、不安、恐れに参る自分に氣づいているのが本当の自分。
恐怖、不安、恐れに参る自分を癒そうともせず、捕まえもせず、ただ氣づいている。
すると、彼方からスペースが拡がり、恐怖、不安、恐れに参る自分を受け入れ包み込んでいく。
そして、恐怖、不安、恐れも受け入れられ包み込まれ溶けて消えていく。
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