愛に支配されるか、恐怖に支配されるか

多かれ少なかれ誰の生も恐怖に支配されている。
なぜなら、生を生きるにはふたつの道しかないからだ。





愛に支配されるか、恐怖に支配されるか。

一般的には、愛することを学ぶまでは、生は恐怖に支配されることになる。

愛がないときには、恐怖の存在は避けがたい。

それは愛の不在にすぎない。

愛することができれば、恐怖は消え失せる。





だから、私があなたに言いたいひとつのことは、

恐怖に注意を払いすぎてはいけないということだ。

それは自己催眠になる。





自分は恐怖とともに生きているのだと考えつづけたら…、

あなたの生は恐怖に支配されるようになり…

それでおわってしまう。





それが示しているのはただ、恐怖を消し去るのに充分なほど、愛が強くはなっていないということだ。

恐怖は、ただの症状にすぎない。

それは病気ではない。

治療法もないし…

その必要もない。

それは、ただ症状でしかなく、それでいて極めて有用でもある。





つまり、それが示していることは、もうこれ以上、生を浪費してはいけないということだ。

あなたは“もっと愛しなさい” と言われている。





OSHO

- Hammer on the Rock -