汚れた泥であろうと内側に何か美しいものを秘めている

 

この星に光を分かち合いに来た仲間たちへ

 

先程、Facebookを開いたら、ちょうど一年前に、友人がアップしてくれたOSHOの講話が出てきました。

 

その内容が、私の魂の名前であるAmbho(Lotus:蓮)にも繋がっていて、正に私の人生をも現していると感じました。

 

そしてこれは、OSHOから人類全員へのメッセージでもあると感じます。

 

 

 

 

 

私が、1年前にそのメッセージを読んで、

書いたのは、次の文章です。

 

私たちは、無限なる意識(光)であり、

それはたくさんの感情や間違った信じ込みといった

たくさんの泥に覆い隠されている。

 

その泥を否定し拒絶しても助けにならない。

唯一助けになるのは、その泥を受け入れ変容し、

光へと戻っていくこと。

 

その光は、すべてを超えた次元に在る。

その光へと戻り咲くことができたなら、

この世界に生きながらも、決して触れられることもなく失われることもないもので在り続けることができる。

 

 

 

 

 

では、OSHOのメッセージをどうぞお読みください。

 

 

蓮は泥から生じる

もっとも美しい花は

汚れた泥から生じる

 

このことは、

汚れた泥であろうと

内側に何か美しいものを

秘めていることを

意味している

 

だから

泥を拒絶してはならない

それは蓮を内に秘めている

 

人はこの誇り高く

これほどの色合いを持つ

美しく優雅な花が

ありふれた泥から生じるとは

思いもよらないだろう

 

人間は

ありふれた泥として生まれるが

内側には蓮の花を秘めている

 

まさにその種の状態において

人は拒絶されるべきものではない

 

人は受け入れられ、

変容をとげる必要がある

 

この世界を否定する必要はない

それは限りなく美しい何かを

はらんでいるのだから

それは表面にあるものではない

それは表面にまで

浮上させる必要がある

 

だから私は

どんなものにも抗わない

肉体にも世間にも、

外界のものにも抗わない

 

私はすべてに抗うのではなく

すべてを変容させるためにここにいる

存在からの贈り物には

どんな物であろうと

何らかの価値がある

その価値を理解できないとすれば

それは私たちの落ち度であり、

狭い視野のせいだ

 

蓮について

心に留めておくべき二つめのことは

それが水の中に生息しながらも

水に触れられることはないということだ

蓮はビロードのような花びらを持ち

たとえ露滴が花びらの上に溜まろうと

水滴ははじかれている

 

 

世の中に生きなさい

だが世間を

あなたの中に浸透させてはならない

世の中に留まりなさい

だが世間の一部とはならないことだ

離れていなさい

クールであり、

常に一定の距離をおくことだ

そうすれば、

この世界は実に多くのことを教えてくれる

この世界は存在のあみだしたもの

成長し、成熟を遂げるための学びの場なのだ

 

 

OSHO

 

- A must for contemplation before sleep-