それは、ボタンの掛け違いを直すようにシンプルなことだった。

昨日の夕方、車を運転してるときに、閃きがあった。

 

今朝、瞑想してるときに、何かがシフトした。

それを言葉にしたのがこの記事。

 

一昨年の秋分の日からハマっていたものが、その先に突き抜けた。

と言っても、新しいものではなく、元々の自分に戻って来た感じ。

そして、突き抜けてみたら、何でハマっていたんだろう?としか思えない

 

突き抜けてしまえば、今回のシフトになぜ2年近くも掛かったのかわからない。

なぜあんなにもさ迷ってしまったのかわからない。

 

 

 

それは、ボタンの掛け違いを直すかのように本当にシンプルなことだった。

そして、必要だったのは、覚悟、内奥に在るものへの信頼、すべての次元を含むこと、の3つだった。

 

そして、忘れてはいけないのは、諦めないこと。

それは、諦めるが諦めないとも言える。

 

 

 

 

 

そして、私が命を懸けて探究してきたものを分かち合うとき、先ず観るのはその人に覚悟があるかということ。

 

 

それは、犠牲者であることを止め、自分自身に自分の人生に責任を取ると言うこともできる。

責任を取ると言うと私が悪いのですか?と思うかもしれない。

しかし、そうではない。

 

 

そもそもイイとかワルイとかいう問題ではない。

そういった善悪は、あなたの頭の中の問題でしかない。

それについては、放っておけばいい。

 

 

ただ無意識に繰り返していたことに氣づき、意識的になるということに過ぎない。

そして、それを受け入れ変容する。

 

 

その氣づきと受容があなたを変容し、結果としてあなたが作り出していた現実も変容する。