カタルシスについて

カタルシスについて


最近来ていただいたクライアントさんから聴いて知ったのですが、カタルシスって心理学などでも使われているそうです。

私は、OSHOが残してくれた代表的な瞑想のOSHOダイナミック瞑想の説明や、OSHOの講話で何となく聴いたことがある程度にしかしtらなかったので、てっきりマニアックな言葉だと思ってました。

なので、心理学的なことを学ばれた方からカタルシスという言葉を聴いて、驚きました。





と言う訳で、カタルシスについて書いてみようと思います。

私の体験としては、カタルシスは瞑想の助けにはなっても、本当の意味では助けになりませんでした。

救われず、死に掛けました。





私は、20071月から本当に深く瞑想し、何が起ころうとも変わることのない安らぎ・平安・静けさを見つけあたと、激しい怒りや恐怖を感じさせられることが、次から次へと起こり続け、大変になりました。

20
歳ころより、スピリチュアルなことに興味を持ち、いろんな所に行きましたが、トラウマや激しい感情を感じさせられたことを思い出させるワークには出会えても、本当の意味での癒しが起こるものには出会えてなかったのでした。

なので、感情については為す術がないと感じていました。

なので、怒りで一杯一杯になると、隔週で週末の朝5時半の始発電車に乗って、西荻窪にあるOSHOサクシン瞑想センターに行って、OSHOダイナミック瞑想をしたものでした。



OSHO
ダイナミック瞑想とは、5ステージ60分の瞑想です。
■第1ステージ(10分間)
 鼻で、速く、深く、混沌とした呼吸をします
■第2ステージ(10分間)
 カタルシス、言葉を使わず、声や体の動きを使って内側にあるいろんなガラクタを放り出します
■第3ステージ(10分間)
 両手を天に向かって上げ、「フー、フー!」と唱えながらジャンプし続けます
■第4ステージ(15分間)
 ストップ当いう声で静止し、そのまま
■第5ステージ(15分間)
 全身で音楽を感じ祝祭のダンス



そう、怒りに任せて暴れまわると、終わった後には、深く静かなスペースに包まれ、何もなくても幸せな感じになります。

そう、この瞑想が終わってからが、本当の意味での瞑想が始まるのでした。





しかし、日常に戻って日々を過ごすと、またどんどん激しい怒りや恐怖を感じさせられることが次から次へと起こり続けます。

そして、またもや怒りで一杯になって、二週間後の週末には再び5時半の電車に乗って、ダイナミック瞑想をしに行くのです。

そして、終わった後には、深く静かなスペースに包まれ、何もなくても幸せな感じになります。



しかし、日常に戻って日々を過ごすと、またどんどん激しい怒りや恐怖を感じさせられることが次から次へと起こり続けます。

そして、またもや怒りで一杯になって、二週間後の週末には再び5時半の電車に乗って、ダイナミック瞑想をしに行くのです。



そう、私にとっては、カタルシスは役には立ちませんでした。





私にとってカタルシスは、暴発防止のリリーフバルブ(安全弁)でしかありませんでした。

当時の自分に取っては、為す術無しで、絶望的でしかなかったのですが、

今では、なぜ役に立たなかったのかが、良く分かります。

いえ、もうずいぶん前から分かっていたし、セッションの時にも説明していたけど、ブログには書いていなかったかなと思うので、書いているのですが。





なぜ役に立たなかったのか?

それは、怒り・恐怖・不安・恐れ・悲しみ・無力感・罪悪感・嫉妬・・・といった心地よくない感情をただ放り出そうとしていたからです。

感情を感じることを避けて放りだそうとして、放りだせる訳ではないのです。

それを感じることから逃げている、それと一緒にいないと、その感情について何も起こらないのです。





終わった後にスッキリしたのは、怒りなどの感情から発生した蒸気のようなエネルギーが解放され、圧力が下がったからなのです。

つまり、鍋の中に沸騰したお湯がたくさん入っていて、鍋の蓋がガタガタ言っている状態で、暫くの間蓋を開けて、また戻したようなものです。

原因である鍋の下の火は燃え続けており、お湯もまた沸騰し続けているのです。

だから、二週間も経ったらまた蒸気の圧で蓋がガタガタ言うように怒りで一杯になってどうしようもなくなってしまうのです。





もっというなら、そういった感情と一緒にいる以前に、それがどこにあって、どんな色で、どんな形で、どんな温度で、どんな感触で、どんなことをしたいのか、そう言ったことも全く感じていなかったからです。

だから、感情についてどうすることもできなかったのです。





そして、また、日常の中で同じような出来事を引き寄せ、同じように反応し、同じように大変になる、ということが、その原因である感情は変わることなく残っていて役に立っていないということを現しています。





その感情が癒されたなら、もう同じような出来事を引き寄せることは無くなります。

その感情を癒すためには、その感情とひとつになる必要があります。

つまり、それがどこにあって、どんな色で、どんな形で、どんな温度で、どんな感触で、どんなことをしたいのか、そう言ったことを感じて、一緒にいてあげる必要があるのです。





例えば、「激しい怒りが、前側のへその左下の辺りにある。」と気づいただけでは、ダメなのです。

ただ気づいているだけでは、その怒りはそのままそこにあり続けます。

気づきで、怒りの自動的な反応に呑み込まれないようにすることはできるでしょう。

しかし、何かに気を取られたり、疲れていたり、寝不足だったり、体調が悪いと、気づきは弱まるものです。

そうなったら、途端に怒りに乗っ取られ我を見失います。

それでは、あまり意味がないですよね。





では、どうしたらよいのか?

先ずは、感覚を内側に開くことです。

そして、自分が影響されている感情が、どこにあって、どんな色で、どんな形で、どんな温度で、どんな感触で、どんなことをしたいのか、を感じれるようになることです。

そして、それとただ一緒にいて、そこにハートをもたらすなら、ハートが感情を癒してくれるのです。





どうやって、内側にある目に見えない感情を、観て触れて感じて、ハートをもたらせばいいのか?

そう言ったことは、いくら説明してもできるものではありません。

だから、ハート瞑想では、言葉だけでなくエネルギーで繋がりながら、一つ一つ丁寧にガイドしているのです。

イベント1からハートを目覚めさせ育み、いろんな感覚をハートに繋ぐことで、内側の知覚を開いていくのです。

そして、イベント5「ハートのヒーリングパワーを目覚めさせる」で、感情がどこにあってどんなエネルギーかを知覚することができるようになるのです。

そして、ハートをもたらすことで、ヒーリングが起こるようになるのです。





既にサトルボディヒーリングのセッションを受けていたり、エッセンシャルライフ・コンサルティングを受けていたり、ハート瞑想のCDで瞑想していたり、他の瞑想をしていたりして、その質が開いている方は、必ずしもイベント1から受けなければというものではありません。

答えは、自分の内側にありますから、内なる導きに従って申込まれて大丈夫です。



ハート瞑想ついたいどうぞ。